バドミントンのツール・ド・フランス – ヒッチハイク旅

ロイック・ゲスラーは大胆だ。気負わずに果敢に挑戦するタイプで、セーフネットもなしに飛び込んでいく。

2018年の夏、バドミントンラケットだけをバックパックに詰めて旅に出た。気が向くままに好きな場所へ行き、人に会い、たくさんバドミントンをした。

バドミントンは、アルザス生まれのロイックにとって馴染みのあるスポーツだった。ロイックがまだ5歳の頃、ストラスブール近くのローゼンヴィラーの村にあるバドミントンホールに連れて行かれた。「それはとても小さなクラブでした。トレーニングや試合をしたりせずに、バドミントンを純粋に楽しんでいました。」

「後に、メスという大きな街で勉強をするために故郷を離れると、バドミントンが生活に欠かせない、大切なものになりました。最初は、色々な場所で試合に出ていたのが理由でしたが、次第にバドミントンを通して友だちを作りたいと思うようになりました。似たような情熱や価値観を持つ人たちとはすぐに友だちになれました。」

仕事でパリに移らなければならなかった時も、ロイックはまったく同じ気持ちを感じた。パリでも、バドミントンを通じて新しい友だちを作ることができた。「フォントネー=スー=ボワにあるクラブに関わるようになりました。色々と斬新なプロジェクトを始めて、フランス中を旅してトーナメントに出場しました。しかし、時が経つにつれて、クラブの同僚の多くが結婚し、今までのように時間を割けなくなりました。そのため、バドミントンクラブを巡る小さな「ツール・ド・フランス」を始めました。」

ヒッチハイキングでバドミントンクラブ巡り

 

2018年の夏、ロイックは毎晩場所を移してバドミントンクラブを巡るヒッチハイクの旅に出た。旅先では、トレーニングに参加したり、オープンナイトを開催してプレーを楽しんだりして過ごした。

「リサーチも行いました。まず、クラブがセッションを行っているところを見に行きました。それから、クラブのオーナーにメールを送って自分の突拍子もないアイディアを説明しました。他にも、本当の冒険のような旅にしたかったので、何の準備もなく、その晩泊まる場所にあるクラブを訪ねました。」

運転免許を持っていないロイックにとってクラブ巡りは、クラブに巡り合う運とヒッチハイクの運にかかっていた。以前所属していた大好きだったクラブと同じ精神を持つクラブを見つけるために、ロイックは家族向けの小規模なクラブを選んだ。

「フランスでヒッチハイクはもう流行っていないとしても、目的の場所まで車に乗せてくれるいい人に出会えるよう、いつも何とかしていました。大半は短い距離を乗せてもらっていたので、1日に8~10台の車に乗せてもらいました。毎回、乗せてくれた人から面白い話しを聞くことができました。バドミントンをするためだけにヒッチハイク旅をしている私にみんな驚いていました。」

他人同士を結びつけるバドミントン

 

バボラのホームタウンであるリヨンから始まったこの1週間の旅では、週末にトーナメントを開催していたクラブを含む7つのクラブでプレーをした。「旅では素晴らしい出会いがたくさんありました。毎晩、違う感情を体験しました。セッションが終わる前までに泊まる場所を探さなければならないことは分かっていましたが、幸運なことに、その晩私を泊めてくださる親切な人々に出会うことが出来ました。」

「バドミントンが縁で他人同士が親しくなれることに本当に驚きました。一緒に数時間プレーしただけで、身長1.90メートルもある大柄のよく知らない男性を自宅に招いてくれました。短時間でこのような絆を築けるのはバドミントンしかないと思います。」

「この経験でスポーツの力、特にバドミントンの力の大きさを学びました。バドミントンコートで同じ情熱や価値観を共有することで、素晴らしい関係を築くことが出来ます。その他の多くのスポーツとは異なり、バドミントンは個人競技でありながら、非常に強いチームスピリットを感じられます。コミュニティへの強い帰属意識が生まれます。」