身長2メートル3センチという抜群の体格を誇るリヨン生まれのジョヴァニ・ンペシ・ペリカールは、バボラ本社から徒歩圏内で育ちました。10歳で初めてのスポンサー契約を結んだペリカールは、現在、テニス界で最も輝く将来性の高い1人と考えられています。
ラファエル・ナダル、オリンピック・リヨン、リオの街、F1、アメリカンバスケットボール(特にレブロン・ジェームズとLAレイカーズ)の熱烈なファンであるペリカールは、10歳の時に初めてバボラの目に留まりました。バボラ社員のヨアン・シャルトロンは次のように振り返ります:「2013年にクラブコーチからの連絡がきっかけでジオ(ジョヴァニ)との仕事を始めました。彼の最初のギア契約は2014年でした。当時、彼はPURE AEROを使っていました。2年後、ウェア、シューズ、バッグを含めた契約へとアップグレードし、16歳で、ラケットとストリングの契約を結んだのです。」
アルトゥール・フィスが、2023年5月にバボラ本社の近くリヨンで初のATP250タイトルを獲得し、それがきっかけで世界トップ100に入りました。ペリカールは、翌年同じ大会で同じ結果を残しました。バボラにとって誇りである2人の才能あふれるフランス人選手の歩みは、道こそ異なれど、何年にも渡り交差してきました。全仏オープンジュニアでの準決勝や、2021年同大会でのダブルス優勝がその象徴的なものです。

「パワーを最大化するためのPURE DRIVE」
12歳の頃は内気ながらも好感を持たれる存在で、シューズのサイズは驚きの28.5センチを履いていたペリカール。フランス国内の13歳/14歳の部で優勝し、ポワティエのフランスナショナルテニスセンターに入所しました。父親のギスラン・ンペシはかつてプロサッカー選手でしたが、ジョヴァニはサッカーには興味を示さず、バスケットボールや水泳に取り組んでいました。選手がスポーツ転向を考えることも多い思春期の重要な時期に、バボラは彼に最適なサポートを提供するために尽力しました。「ジオは非常にパワーがあったので、よりコントロールが効くPURE STRIKEも試してもらいました。しかし最終的には、我々のラインアップで最もパワフルなPURE DRIVEが、彼の強みを生かす最適な選択でした」とシャルトロンは説明します。ペリカールは、時折母親や、同じくバボラ契約している妹ダフネとともにバボラのカフェテリアで昼食を取っていました。妹ダフネは、2025年の全仏オープン予選とジュニアドローに出場しています。
その高身長を活かし、ペリカールはモンスターサーブと決定力のあるフォアハンドを身につけましたが、フランス連盟が任命したエマニュエル・プランクコーチの指導の下でさらに新たなにプレーに深みを持たせました。それが2021年にウリアージュ(イゼール)で自身初のフューチャーズタイトルをもたらし、決勝ではアルトゥール・フィスを破りました。そして2024年にはATPツアーへの本格的な飛躍を遂げました。
「RPM BLAST 135、ラファエル・ナダルのように」
2024年初頭、世界ランク205位からスタートしたペリカールは、RPM BLAST 135 のストリングを張ったPURE DRIVEを使用し一気に注目を浴びました。「ナダルも135を使っていたが、多くの選手が使っているわけではない」とシャルトロンは語っています。ノッティンガム、クエルナバカ、アカプルコでのチャレンジャータイトル獲得で波に乗り、ペリカールはリヨン250イベントで自身初のATPツアータイトルを獲得しました。さらにクイーンズでは世界14位のベン・シェルトンを破り、ウィンブルドンでは世界21位セバスチャン・コルダに51エースを放ち、4回戦進出を果たしました。シーズン終盤ではさらに高みに達し、バーゼルのATP 500ではバボラ契約選手のフェリックス・オジェ・アリアシム(19位)とホルガ・ルーネ(14位)を破り、決勝では再びベン・シェルトンを下し、タイトルを獲得しました。驚くべきことに、1週間で一度もサービスゲームを落とさなかったのです。
2025年2月までに、ペリカールはトップ30入りを果たし、世界ランキング29位に到達。2025年5月のボルドー・チャレンジャーでの優勝により、全仏オープンのシード選手となり、チーム・バボラが誇りを持って支えるライジングスターとなりました。